「もったいない」が足枷になることもある

「もったいない精神」

日本人なら誰でも刷り込まれている価値観だけど、私はいらないものを容赦なく捨てる。

高価なものだろうが、思い出が詰まっていようが、「今の私に必要ない」と判断したら、即ゴミ箱行き。たとえば、去年の秋に買ったけど全然使わなかったバッグ。ちょっと気分が変われば使うかも?と思っていたけど、その「ちょっと気分が変わる日」は来なかった。

気づいたらクローゼットの奥に放置されていて、結局手放すことにした。

特に格安サイトから購入したものは簡単に捨てられることに気づいたのでもうサイトを見ることもやめた。

捨てる=決別。人生のアップデート

物を手放すのは、ただの片付けじゃない。

「いつか使うかも」と思って持ち続けるのは、過去の自分にしがみついているのと同じこと。

それなら、スパッと手放して、新しいものを迎えられる余白を作ったほうがいい。

思い出はしつこいし、歪む

物を捨てる理由はシンプル。「思い出が美化されるのを防ぐため」

人間の記憶って、過去を都合よく書き換えてしまう生き物だから、いらないものを持ち続けていると、簡単に「あの頃は幸せだったな…」とか思い始める。

そんな幻想に浸っているうちに、新しい出会いや可能性を逃して、気づけば人生が”あの頃”に囚われたままになる。

過去に執着しすぎると、「これまでの時間を無駄にしたくない」という意地が生まれて、ズルズルと手放せなくなる。

だから私は、余計な未練を作らないために、物ごと容赦なく捨てる。

服は人生を変えるかもしれない

私は自分で買った服もよく捨てる。

理由は、「見慣れた服を着るとワクワクしないから」。

新しい服を着たときのあの高揚感、あれこそが”気分が変わる”ということ。気分が変われば行動が変わり、行動が変われば人生が変わる。「いつか着るかも」と思って取っておいた服なんて、一度も着なかった。

そして、いらない服でクローゼットを圧迫すると、着たい服が見つかりにくくなり、服を選ぶ時間が幸せな時間」から「無駄な時間」へと変わる。

靴をよく捨てるのは、単に私の歩き方が悪く、すぐボロボロになるから。

特に、お酒を飲んだ日は「戦場を駆け抜けてきたのか?」ってぐらいズタボロになっているので、捨てるのも当然の流れである。

下着選びも怠れない

ワンクールと少しで下着も買い替える。下着って、つい長く使いがちだけど、メーカー的には週2回の着用で半年〜1年以内に買い替え推奨らしい。「旅行の予定が決まった時」「新しい季節が始まる時」に下着を新調する人が多いみたいだけど、私は違う。

私はいつでも臨戦態勢でいたい。

いい下着をつけるだけで気分が変わり、気分が変われば行動が変わる。ボロボロの下着よりも見えないところまでちゃんと手入れされている自分」の方が、自然と所作にも自信が宿る。「その場しのぎ」ではなく、どんなときでも”最高の自分”でいられる準備をすることが大事。

執着が「足枷」になる瞬間

人は、なぜか手に入れたものを「とりあえず持っておく」習性がある。「いつか使うかも」と思って、とっておく。「捨てるのはもったいない」と思って、不要なものを溜め込む。でも、「いつか」はこないし、「もったいない」と思って残したものが、今の自分にとってプラスになることなんてほぼない。「でも、せっかく◯◯したのに…」という考え方は、過去に縛られている証拠。

その「せっかく」は本当に今の自分にとって必要?手放すことで、掴めるものがある若いうちは、なんでも抱え込もうとする。でも、持ちすぎると「維持すること」 にエネルギーを奪われ、新しいものを受け入れる余裕をなくしてしまう。

「年を取ること」の一番のリスクは、そうやって新しい幸せについて考える機会を失うことなんじゃないかと思ってる。だから、私は捨てる。いらない物、いらない人間関係、いらない価値観。それらを手放したとき、初めて新しいものを掴める準備ができる。

足枷を外して、未来へ進む

「もったいない」は、時には執着になり、自分を縛る鎖になる。だからこそ、必要のないものはどんどん手放していく部屋も心も、新しいものを迎えられる余白がある方がいい。捨てることで、新しく手に入るものもある。余白があるからこそ、そこに新しい幸せが入るスペースができる。不要なものを捨て、未来へ進む。

それが「生きる」ということなんじゃないかと思う。あ、わたしの持論なので捨てたくない人はもちろんご自由に(^-^)