亡くなった父の口癖

ベッドで本を読んでいた午後、起き上がり夕飯の準備をしようと立ち上がると天井がぐるぐる回っている。「うん、気のせいだ」そう思って作業を続けるがどうも様子がおかしい。吐き気と頭痛までしている。さっきまで本を読んでいたのに突然どうしたわたしの身体。と思いながら旦那さんに「めまいがするから横になるわ」と告げて再びベッドに横になる。

横になってもめまいが治まらず、天井がぐるぐると回っている。あまりにも不安になったので旦那さんをそばに呼びつけてめまいの対処法を調べてもらう。「とにかく目をつぶって横になっているのが良いみたい」そう言うのでひたすら横になり夕方だけど眠ってみる。

吐き気と頭痛もあるため夕飯は旦那さんにお願いしてお風呂も入らずとにかく寝れば治るだろうと布団にGo!翌日になってもめまいが治まることなく脳神経外科に行くことに。友達とホームパーティーを予定していたのに残念すぎて落ち込む。

こんな感じで脳神経外科に行くわけですがここからが問題で。

先生に診察してもらうと眼振が出ていると。

眼振とは書いて字のごとく眼球がぶるぶる振れているらしく精密検査をすることになった。それがめまいが起きている証らしく精密検査とはMRIを撮るということだった。

さあ、どうしよう。わたしは閉所恐怖症なんです。狭い空間がダメで以前、片頭痛の検査でMRIを撮ったときはパニックを起こしそうになり地獄のような20分を過ごしたことがフラッシュバックしてあれをまた行うのかと思うと気が狂いそうになり逃げ出したくなった。

看護師さんに「すみません、閉所恐怖症なのでMRIは無理かもしれません」と伝えると内服薬を飲めば大丈夫、と。やばいぞ。この流れでは確実にMRIを撮影する流れだ。(診察に来ているんだから当たり前だ)

内服薬を飲まされてしばらくお待ちくださいね、と待合室で待機する間も心臓が口から飛び出しそうでめまいをしようが、頭痛があろうがお構いなくスマホで「MRIを乗り越える方法」を検索し始めるわたし。画像まで丁寧に出てくるものだから余計不安になり慌ててスマホを消す。その繰り返し。

いよいよ検査用の服に着替えて検査室前で待たされる。わたしの前に男子高校生が付き添いのお母さんと一緒に待機しているんだけど「俺、楽勝!」って顔をしていて余計不安になる。

高校生が終わり、ついにわたしの順番が来るんだけど検査技師の方々がわたしが閉所恐怖症だということで心配して声をかけてくれる。「大丈夫そうですか?」「薬は効いてきましたか?」

薬の効果がどんなもんかもわからないし、全然大丈夫じゃないし、「いや、どうしましょう。無理そうです」「薬が効いているのかもわからないです」「ドキドキが止まりません」ふざけているわけじゃなくて本気で分からない。困った。

「目隠しもありますよ?」

「いや、余計に怖いです」

そんなやり取りをしている間に内服薬が効くであろうピークの時間を迎えた。

「旦那さんは家にいますか?」

「はい」

すると検査技師のかたが「旦那さんにそばに居てもらいましょうか」と提案してくれた。どうやらわたしのように閉所恐怖症でどうにも検査が出来ない人が家族にそばに居てもらって無事に検査が出来たことが過去にもあったと話してくれた。

「え?家族が検査室に入っても良いんですか?」

「大丈夫ですよ!家族に身体を触っていてもらうだけで安心感が違いますよね」

え?そんな提案をしてくれるなんて神様なの?迷わずわたしは旦那さんに電話した。

自宅から近い脳神経外科だったこともあって5分以内には来てくれた。検査用の服に着替えているのにMRIを撮れていないわたしを見て「ウケる」と言いながら(いや、ウケないんだけど)検査技師の方に誘導されて旦那さんも検査用の服に着替えメガネや携帯などを回収されて身ぐるみはがされて一緒に検査室に入った。

結果はどうだったのかと言うと、前回は地獄のような20分を過ごしたが今回は無事に安心してMRI撮影を終え脳の診断をしてもらった。めまいは脳に原因はなく自律神経や三半規管が原因だった。沖縄は湿気が酷いので梅雨時期の気候のトラブルも関係しているんでしょうね。それはそれはきれいな脳でした。

いや、わたしはこの記事でMRIの恐怖について書きたいわけではなく、脳みそについて書きたいわけでもないのよ。

検査の間、わたしは絶対に目を開けないと決めていた。(機械との距離が近いので閉塞感を感じないために)その間、旦那さんはわたしの手を握ってくれていて時折足をさすったりして会話が出来ない代わりに「ここにいるよ」「安心してね」のエネルギーを送ってくれた。その時間がなんだかものすごく強靭なものから守られているような、何が起こっても大丈夫なような気がしてさっきまでの不安はどこかに吹っ飛んでしまったんだ。おかげで余裕で20分をクリアした。

わたしの亡くなった父の口癖は「最後は家族なんだよ」という言葉だった。

当時は「そうね、家族は大事だよね」ぐらいにしかとらえていなかった。今回のMRI事件で父の言葉が身体で体感できた気がした。「夫婦は所詮他人だから」と言ってしまうとそれまでなんだけど縁があって夫婦になり、家族になっていく。結婚して10年以上経ちもちろん今でもケンカもするしイラつくことは山ほどある。でも、「最後は家族なんだよ」の意味が深く分かったんだ。

離婚も悪いことではなく、もう一方の側面から見ればハッピーなことでもあり、何でも両面があるとおもうんだけど一度でも夫婦になるって縁だよね。死別もそう。子どもが生まれたら尚更縁でしかない。遺伝子を分け合った自分たちの分身がこの世に生命を宿すんだから。

縁もない人の子をこの世に生み落とす理由がわからない。

友達も大事、肉親も大事。袖振り合うも他生の縁。そして初めて自分で作る家族はもっと大事で面白い。未知なもの。未知だから分からないことだらけで悩むこともあるし問題は尽きない。死ぬその寸前まで家族や夫婦の正解なんてわからないし十人十色だからこそ最後まで家族、夫婦っていうものと向き合うことは自分と向き合うことにもつながるんだろうな。今、分断に向かっているようなことが世間には多く家族や夫婦も意見が食い違い家族内で分断が起きることも不思議ではなくなった。

そんな時代だからこそ「最後は家族なんだよ」の口癖をわたしは大切にしたい、とおもう。

どんな最悪な出来事が起きても「ここにいれば大丈夫」という場所を作っていくことが家族や夫婦ってことなのかもしれない。ということにMRIで気づいたという話しでした。

とは言え、穏やかな精神状態が条件な気がするので日頃から自分に優しくすることは大切にしていきたいですね。