結婚式の思い出
わが家では2月3日の節分に行われる妹の結婚式を来週に控え、家族みんなの気持ちが浮き足立っています。
だけど、私の結婚式の思い出は母が倒れたこと。もちろん、思い出はそれだけではないけれど、あまりにも印象的なので忘れられない。
(私の)結婚式の朝、宿泊したホテルで朝食をとっていると、妹が
「お母さん?あれ。お母さんがいびきをかいているんだけど……」
と様子のおかしい母に1番に気づいた。
私が母に駆け寄ると、母は白目をむいた状態で意識を失い、いびきをかいて気絶している。これはおかしい。それにこれから結婚式。焦った私は大声で「誰か救急車を呼んで!」と叫んだ。しばらく母の隣で「お母さん!お母さん!」と呼ぶのだけど、母の意識は戻らない。
かなり焦っていると、母はパッと目を覚ました。
救急車が到着し、救急隊が手際よく母の脈を測ったり、搬送する準備に取り掛かる。もちろん、ホテルにいても気が気じゃないので私も妹も救急車に乗った。結婚式当日の朝に、新婦が救急車に乗っていく姿を見て、さすがに主人も今日の結婚式は延期かな……と思ったらしい。
結局、救急車の中で母の意識もはっきりしてきて、病院で脳の検査などをしても異常はなく結婚式に出席する許可もお医者さんから頂いたので、私は先に急いでホテルに戻り(このときタクシーの中でホテルのスリッパを履いたまま救急車に乗っていたことに気づく)娘と待っていてくれた主人と急いで着替え、あっという間に白無垢を着た花嫁さんに変身したのだった。
これが、私の忘れられない結婚式の思い出だ。
その日から実感したこと
おかげさまで結婚式は滞りなく、無事に終わり楽しかったのだけど。その日から母もいつまでも生きてはいないんだな、ということを実感するようになった。
父が震災で突然亡くなったので、いつか親が死ぬということは心の片隅では準備できているはずだったのだけど、母もまたそうなのだ、ということは受け入れたくないというか、まだまだ元気だし大丈夫だろう。と信じてやまなかった。
だけど、母も確実に老いている。それから数年経って母が意識をなくした原因が不正脈からきていることがわかり、ペースメーカーを入れることになった。
私が東京の不正脈で有名な病院を探したので、ペースメーカーを入れる前からわが家に来ていたのだけど、ある日、朝起きると母が布団から起き上がれず様子がおかしい。今度は私ひとりだったので冷静になり、お世話になっている病院へ電話をすると急いで病院に来てください、と言われまた救急車を呼ぶことになった。
まさか、母の付き添いで2度も救急車に乗るとは思ってもいなかったのでこれまた驚いたけれど、やっぱり母もいつまでも元気に生き続けるわけではないことを実感させられた。
父のときは心の準備もなくあっという間に天国に行ってしまったけれど、母のように段々と年老いて疲れやすくなる姿を見るのも中々つらい。ベストな死に方なんて無いからこそ、日々親との関わりが大切なんだと痛感する。
親との関わりがうまくいかない人もいる
今、親との関わりがうまくいっていない人もいると思う。
私の知り合いにも「(亡くなった)親との会話が少なかった」と後悔している人がいる。
確かに一緒にいれば感情でぶつかることも、理解し合えないことも出てくるかもしれないけれど親との関係には必ず終わりが訪れる。
私は……
親も自分もどんな最期を迎えるかわからないからこそ、日々の関わり方が大切
そう実感している。
また、いつか会えるのかもしれないけれど、それまでに後悔しないように、自分の感情と向き合いながら親との関わりは蔑ろにしないで大切に育んでいきたい。
来週は妹の結婚式。
母が倒れた結婚式をいつまでも引きずっていても仕方ないので、来週の妹の結婚式を母と楽しみたいと思う。