身内からの厄介な連絡
母の弟、つまりわたしから見て叔父はたびたび何かしら問題が浮上しその度に母に連絡がくる。叔父の夫婦関係のことや、お金のことなど問題の種類はさまざま。
厄介な叔父だけど、わたしにはいい思い出しかない。
寿司屋で店長をしていた叔父は子どもがいないのでわたしのことをまるで自分の子どもかのように幼少期から可愛がってくれた。
それこそ大人になり、彼氏を叔父の寿司屋に連れて行くと世間話をしながら美味しいお寿司を握ってくれた。
「めぐみを大切にしないと怒るからね!」なんてふざけながら、彼の好きな食材でもてなしてくれた。問題は浮上することもあるけれど根っこでは人に尽くすひとだった。
血の繋がりってなんだろう?
12年前ぐらい前、その叔父が警察のお世話になった。いい歳の大人が酔っ払いにからまれた。
恥ずかしい話だけど、時効だとおもって当時の気持ちを文章にしてみようとおもう。
警察からの連絡は事なきを得たのだけれど
ある日、神奈川の市役所から母の兄弟みんなに対して相談があった。
「弟さんについて、いざという時に援助をしたり何か問題がおきたときは
会いに来たりすることはできないか?」
という相談だった。
叔父はそのとき離婚していたので厄介なことがおきたときに世話をする身内を探していたのだろう。
兄弟たちの答えはNoだった。
まあ、仕方ない。
わたしも、当時は20代だったけれど臭いものに蓋をする、ではないが
巻き込まれて事故には遭いたくないのが人間の性だとおもった。
それぞれの家庭には家庭の事情もあるだろう。
結局、問題が浮上するたびにわたしの父が行く。
母は心配はありつつも弟に会いに行くことが現実を見るようで
どこか怖いようなそんな雰囲気。父はそれを察してひとりで行く。
父は、兄弟でもなんでもない。
妻の弟なわけだから、つまり義理の弟。
血の繋がる兄弟たちは誰も何もせず
血の繋がりのない父が義理の弟のために福島から神奈川県まで行く。
当時のわたしはその姿を見ていて不思議だった。
血の繋がりって一体なんなのだろう。
突然の入院と8時間にわたる手術
父は、夜勤明け徹夜のような状態で福島から神奈川県にひとりで向かった。
義理の弟に会いに行き、すこしのお金を「お小遣い」と渡し
世間話をして日帰りで帰ってきた。
へとへとで帰ってきた翌日、父は仕事中大動脈解離を起こして
救急車で運ばれて緊急入院した。
8時間にわたる緊急手術をして、なんとか命を繋いだ。
兄弟はみんな叔父に会いに行くことを拒否して
徹夜明けで行った兄弟でもない父は入院と手術。
人と人の繋がりって何なのだろう。わたしは、考えた。
人間愛なんだ。
どうして父は義理の弟のためにここまで動くことが出来るだろう。
自分の身体を駆使してまで血の繋がりもない義理の弟のために。
でも、父が震災で死んでからわかった。
人間愛なんだ、と。
血の繋がりだけではない。大きくて、深いもの。
母が大切だから、義理の弟も大切にする。血の繋がりがなくても家族だから。
言葉にするのは簡単だけど、実際に行動に移すことはむつかしい。
父が亡くなったあとこういう人間愛みたいな話しを
いろんな人から、いろんな形でわたしは知ることになった。
「あなたのお父さんは、本来の出勤時間よりも早く出勤して誰か困っている人の仕事を手伝っていました。“タイムカード押してね!”と声をかけても
いいですよ。と言って決してタイムカードも押さないで」
「そういう人でしたよ」
父の職場の人から生前の働く姿勢について聞かせてもらい
やっぱりすごい人だな。と死んだあとも父への尊敬は増した。
父は、いつも孤独な背中を匂わせていた。
ときに自分勝手な発言で周りをハッとさせていたけれど
わたしの知らないところでたくさんの人に対して人間愛を残して死んでいった。
人は、死んだあとに生きた証を残す。
生きているときには、大した証なんて残せない。
地位も名誉も権力も肩書きも大したものではなく、もっと大切なものがある。
血の繋がりなんてものではなくそれよりも深い愛があり
家族という小さな枠を超えるような愛もある。
生きているうちに、大切なものに気づき日常をただ、淡々と過ごす。
何も起きない日すら、奇跡のような素晴らしい日で
静かに過ごせる日も楽しく賑やかに過ごせる日も感謝する。
それがもしかしたら最高の生き方なのかもしれない。
悩んだり、しんどかったり辛かったりするなかで生きていることを実感し
少しでも自分の心を軽くできる術を身につけたくましく生きる。
孤独と、ひとりは違った。
わたしはずっと孤独と戦ってきたけれどなんとなく終止符がうてそう。
孤独とひとりは違うんだ。
兄弟から見放された叔父のことをずっと孤独な人だと思いこんでいた。
父のこともどこか孤独を感じていた。
だけど、ひとりで大切なものを大切にしていくなかで人間愛に気づき、自分も誰かから愛されていることに気づく。
ひとりの時間の質を上げることで、誰かへの人間愛も育まれる。
ひとりひとりが自分の性質を受け入れ、個と個の愛が混ざり合い大切なものを作りだす。
我が家でも旦那さんと娘は血の繋がりを超えた個と個の関係性だ。
そもそも、夫婦にも血の繋がりなんてない。
個と個の性質を認め合い、違いを受け入れた先に人間愛がある。
父が人に尽くしてきた姿を思い出しつらつらと文章にしてみたけれど
果たしてわたしはどこまで血の繋がりを超えた人間愛に気づき、日々実践できているのだろう。
死ぬまでのテーマだ。
あなたが大切なものに気づき、毎日を奇跡のような優しい日になることを
わたしは祈っています。