書くことが好きです
わたしは、書くことが好きです。
うまくはないし、ブログも毎日書けないけれど。自分の言葉を残したい、と思ってネット上に書いたり、アナログですがノートに手書きで書いたりしています。
例えば何かの手続きで書類に記入するなどの「書く」ことも好きです。きっと父が震災で津波に巻き込まれて、あっけなく消えてしまったことが大きく影響しているんだと思うのです。
「死んだら何も残らないのか……」と。
人の気持ちや想いは残された人に受け継がれますが、形として残らないことにさみしさを覚えました。形にこだわる必要がないことは頭ではわかっていますが、わたしはどうしても形に残したいんでしょうね。
そういえば、父が亡くなったときの手続きも冷静に紙に記入したのを思い出しました。そんなときまで、母ではなくわたしが「好きで書いて」いたんですね。
好きなこと
「好きなことがわかりません」
と相談を受けることがあります。
その悩みを一緒にひも解いていくと、好きなことってすごいことじゃないといけない、好きなこととお金を結びつけないと思いこんでいる人が多いように感じます。
もちろん、好きなことが仕事になってお金に結びついたら最高かもしれないけれど、いきなりそこを目指す必要はないんです。
好き嫌いって何か
好きと嫌いは自分では選べません。
頭で考えても選べないように神さまが設定したんじゃないかと思うぐらい選べません。
どうしてそれが好きなのかを考えても理由もなく好きなことがほとんどです。
「なぜだかわからないけど好き」
っていうのが好きの根っこ。
父は不便なところにコンセントを作るのが好きだし、得意だったんです。
わたしはコンセントなんてどうでもいいし、なければどこかのコンセントから延長コードで引っ張ってくればいいじゃんという人。
だけど、父はせっせとわたしのためにコンセントを作ります。
「わー!ここにコンセントがあったら便利だと思っていたんだよ。本当にありがとー!!」とわたしの喜んだ顔を見たくて。
頼まれたら、どこにでもコンセントを作りに出かけるぐらい好きなんです。
だから、好きなことって「つい、どうしてもやってしまうもの」。
自分の中にある本当は出したいけれど、日頃出せなくてうずいているものを発散できるから、ついやってしまうもの。
今の仕事とは全く関係ない業種が好きなことかもしれないし、お金に結びつかないことも当たり前と言えば、当たり前。
(父もコンセントとは全く関係ない雑誌を作る仕事をしていました)
だから、ついどうしてもやってしまうものを探求していくことが好きを見つける一番の打開策。
なにもしないで生きている人はいません。みんな、なにかしら休みの日には予定を入れるし、そこに自分の好きが隠れています。
どうしてもやってしまうものを探求しても、好きが分からないのであれば普段の生活から一番を選び続けることです。
自分を諦めたら、見つからない
「どっちでもいいよ」
「わからない」
「任せるよ」
そうした言葉は優しいように見えて、自分を探求することをあきらめています。探求をあきらめているのに、好きなことを探すことは難しいです。
自分の中の一番を探し続ける。
誰かと比べて一番を見つけるのではなく、自分の中の一番です。
誰かに合わせて自分の本心を隠していると、いつの間にか好きの感覚は麻痺し、自分の一番が分からなくなる。優しさとあきらめは紙一重です。
思いもよらないところに隠れているかもしれない
わたしも今でこそ書くことが好き、と言えますが昔は全然違う業種でした。まさか自分が本を出すなんて思ってもいなかったです。
好きと嫌いは自分ではえらべません。探求して流れに乗り、面白そうなことに挑戦しつづけたら、今のわたしが出来上がりました。
まだまだ探求し続けます。
続けているといつの間にか誰かが探している「好き」のお手伝いが出来るんじゃないかと信じています。自分の好きが誰かの好きと結びついて化学反応を起こして、もっと好きなことが見つかるかもしれないとわくわくしながら。
だから、もし今好きなことが分からないとしても焦ることなく、どこまでも探求し、自分の中の一番を見つけるようにしてください。
思いもよらないところにあなたの好きが隠れているかもしれません。
父のコンセントのように。