引っ越した家の食洗機
最近、引っ越しをした。
ただ、その家には悩ましいモノがあった。
「食洗機」
例の食器を洗ってくれるヤツのこと。
生まれてからずーっと食器は手洗いが当たり前だった私は食洗機があっても食器は手洗いをしていた。自分の手で隅々まで洗い、油汚れのチェックも自分でできるから。機械よりも自分の手を信じていた。
いや、もっといえば、食洗機で食器を洗うことに罪悪感さえ感じていた。
はじめて食洗機を使ってみた
ある日、疲れていたのかふと食洗機を使ってみようかな、という気分になり食器をおさめ、スタートボタンを押してみた。
すると、私がイメージしていた食洗機の動きはなく、水が出る気配もなければ、動き出す気配もない。「あれ?食洗機ってこんな感じ?」と何度も何度も試してみるけれど、食洗機は一切動かない。
翌日、管理会社に連絡をして、業者さんに来てもらうと「故障していますね」の一言。
そうだよね。だって、ちっとも動かないもん。
そして新しい食洗機を取り付けてもらえることになった。もともとあった食洗機は、呆気なく連れていかれ、我が家には真新しくて、ピカピカで操作も簡単な食洗機がやってきた。
スイッチを入れると時間はかかるけれど、かなりきれいに洗ってくれて、高熱で滅菌までしてくれる。しかも節水にもなり、排水溝まできれいにしてくれるらしい。
これだけ便利なのだ。喜んでもいいはずなのに、私には自分自身を責める気持ちがあった。
その後、実家の母と電話をしていて、食洗機の話をすると「時間がかかるから嫌なのよ、だからつい手で洗っちゃう」と言われ、どんどん怠けだして食洗機の頻度が増えている自分をやっぱり責めた。
そうして、自分を責める気持ちが高まっていった。
自分を苦しめていたのは…
なぜ、こんなにも自分を責めてしまうのだろうと考えたとき、出てきた答えは「他人への意識」だということに気づいた。
「他人なんて、どこにもいないじゃない?」
そうあなたは思うかもしれない。でも私の心の中に「他人」がいたのだ。その他人への意識が強く私を責めていた。
「みんなやっているのに、私だけやっていない」という、それだ。
横並びだったところから脱出するのには少しの勇気が必要で、「他の人からどう思われるだろう」という私の心の中の「他者の目」がとても気になる。
責められるのではないか、大変なことから逃げている、と思われるのではないか、様々な妄想が頭をよぎる。
他人に縛られているあなたを「幸せ」にする2つのこと
自分の心の中の他人が責める
探せば、こうした「他人への意識」はいくらでもある。
あなたにもきっとあると思う。
でも、そんな時はまず落ち着いて考えた方がいい。
そこには「他人」はいないのだし、実際の他人は何一つ責めてはいない。
私の中の「他人」が。「妄想の他人」が私を責めていただけ。
それは私が創った妄想なので、実際に他人が私を責めているのではなく、「私が私を責めている」ようなものだった。
自分にとっての幸せを考える
ただ、あなたは「それでも、本当に他人が責めるかもしれない」と考えるかもしれない。
それは仕方がない。
人それぞれみんな考え方が違うように、価値感だって違う。あなたに対して、「こちらの方がいい」と言ってくるかもしれない。
その時は
「人それぞれみんな考え方が違う」
ってことを理解すればいいだけ。
そこで落ち着いて、自分にとっての幸せをしっかり考え、自分が幸せになる道を選べばいい。
こうしたことはいくらでもある…
探せば、こうしたことはいくらでもある。
たとえば、ネットスーパー。最近は野菜などの食料品も直接手に取らなくてもネットで買うことができるようになった。しかし、ボタンひとつで野菜を買うことに抵抗感を感じるかもしれない。
私だって、しっかりと確認もしないで買うことにはとても抵抗があった。
ほかのお母さんはきっと食材をしっかりと確認して買って子どもに与えているのだろうな…私は、なんてズボラなんだ、と。
それでも、仕事をしながら子育てしている私にとって、買い物に行かなくても野菜が自宅に届くことはとても便利でありがたいことで。実際、傷んだ野菜が届いたりすることはないし、時間も有効に使える。私にとっては、それが幸せだった。
本をネットでばかり買うこともそうだ。書店に行くことが大好きな人は、書店まで足を運んだからこそ出会う本というのがあると考えるだろう。だけど、重たい本を持ち帰らなくてもいい、という便利な面や、スマホやタブレットで読めるようになると持ち歩かなくても何冊も読める、という幸せもある。
「人」の価値感はそれぞれだ。
自分の中の「妄想の他人」を必要以上に意識しないことはもちろん、実際の他人に対しても、変に影響を受けることはない。
自分にとっての幸せは何かを考え行動する。
それがあなたの人生を幸せにすることにつながっていく。