数年前、わたしたち家族は恵比寿のタワーマンションに住んでいた。しかも最上階。
引っ越しの際に荷物を運んでくれた宅配業者のかたですら「すいませんが荷物をお部屋まで運びますので最上階の景色を見せてもらってもいいですか?」と言われるほど恵比寿の最上階のベランダからの景色は圧巻だった。
上に人が住んでいないことで騒音もなく、引っ越しに合わせて真っ白な家具を揃えたので部屋は真っ白。ピンクのお花を買って部屋に飾るだけで色が映えて、遊びにきた義理の両親からは「ドラマに出てくる部屋みたい!」と言われた。
恵比寿駅からは少し離れていてガーデンプレイスやウエスティンホテルの近所だったので子どもを遊ばせるにも危なくはなく、仕事をするにも最高の環境だった。
はずだった。
住んで2,3カ月くらいした12月の真冬。無性に虚しくなり家を飛び出した。
すべてに満たされていて困ることはないはずなのに何かに虚しくなってしまったのだ。
家を飛び出すと近所のウエスティンホテルのラウンジでビールとカルパッチョを食べて、ガーデンプレイスに向かいスタバに入ってチャイティーラテを買いひとりボーっと飲む。
ゆっくり落ち着いたところで次第に湧き上がる感情に気づく。
「サミシイ」
いくらお金があろうが、きれいなモノに囲まれていようが恵比寿のタワーマンション最上階に住んでいようが「サミシイ」と感情が溢れてくる。
「そうだ、わたし寂しかったんだ」
「ひとりで見えない敵と戦っていたんだ」
どこかに置いてきぼりにしていた寂しいという気持ちを思い出して思いっきり感じた。
当時のわたしは寂しさを「稼ぐ」ことで満たしひとりでビジネスすることで満たそうとして、寂しさや劣等感を仕事をすることで誤魔化そうとしていたんだ。
もちろん家族は大切だ。だけど当時は旦那さんとも張り合い「いかに旦那さんよりも稼ぐか」に無意識のうちに比重を置いていたのでパートナーに関してもどこかライバルで自分のネガティブな部分や闇みたいなものを必死に隠していた。
だけど身体も心も正直なので寂しいという感情はいつまでも誤魔化すことはできない。
12月の真冬に感じた寂しさはわたしのなかの「ゆがみ」だった。
いくらタワーマンションの最上階に住んでも本来のわたしは満たされないことを「わたし」は知った。
もちろん条件のいい場所なのでどこに行くにも便利で悪いことばかりじゃない。本当に幸せな時間もたくさんあった。母が心臓が悪く手術が必要になったときも港区で名医を探し東京タワーが見える病院で母と楽しみながら我が家から通院できた。不妊治療をする際も有名な治療院が近所だったのですぐに妊娠して二人目を授かることができた。だからすべてが「ゆがみ」ではなくありがたいことも数え切れないぐらい経験した。
でも、わたしが本当に求めていた幸せはそういうことだけじゃないんだと気づかせてくれた場所だった。
妊娠してつわりがひどく最上階のエネルギーは三半規管に良くないと身体が感じ取り次は表参道の低層マンションに住んで出産し、わたしの忘れていた感受性の鋭敏さを取り戻せた。
大切なことは仕事に没頭して感情を誤魔化すことではなく、例えば無職だったとしても幸せな気持ちで居られるか、ということだった。「仕事をしていない、稼いでいない、誰かの役にも立っていないわたしも愛せる?」と自分で自分を愛せてあげられているか。そこが一番大切だった。
心理カウンセラーという仕事なので誰かの背中を押さないといけないと思い込んでいたけれど、人間そんなヤワじゃない。わたしが押さなくても勝手に進むもんだ。と九星気学をカウンセリングに取り入れ鑑定書を作成するようになって感じた。
どんなネガティブな自分のことも認めてあげられたとき、やっと他者とのつながりを求める。人の役に立ちたいという想いは立派だが順番は「自愛」からだ。ただネガティブを見ないようにして一瞬の気分を上げるのはエセポジティブだ。
今の私の仕事へのスタンスは理想の世界創造のため。でも、もう忙しくしたくないので毎月20名しか鑑定しない、と決めいずれ鑑定もやらなくなるだろう。次に楽しいことを見つけたらそれに猛進する。誰のためでもなく自分のために。
こう書くと「再婚したからうまくいったんだろう」とか「資格をもっているからだ」とか「理解のある旦那がいるからだ」とか言われるんですがその通りです。きっと運が良いんです。でも運もひとつの才能だと思っているのでどう言われても構いません。バイオリズムで見てもらったところわたしは数万人にひとりの「人気星」というのがついている星らしく「そりゃついているよなー」と納得しました。人間、さまざまなタイプがいることは気学を使っている身としては百も承知です。問題はその人にあった才能がうまく活かせているのか、ですね。
話しを戻して、起業女子とかふわふわしたまま月収7桁稼ぐ、とか副業で旦那の収入を越そうとか様々な情報が溢れていますが仕事は「寂しさ」や「無価値感」「孤独」「劣等感」を埋めるものでもなく、稼げば寂しさは無くなるものでもなく日々感情を感じ自分を知る作業は死ぬまで続きます。お金はエネルギーであり夢や目標を達成する手伝いをしてくれるツールではありますが目的にしてはいけない。
何度も書きますが
例えば無職だったとしても幸せな気持ちで居られるか、ということ。「仕事をしていない、稼いでいない、誰かの役にも立っていないわたしも愛せる?」と自分で自分を愛せてあげられているか。そこが一番大切です。
誰かの役に立ちたいのならその次です。
「ゆがみ」は誰の心にも潜んでいます。感情に目を向けない限り。
あなたは「寂しい」と伝えられる人がいますか?
ひとりで抱え込んでいませんか?スケジュールを真っ黒にして忙しくして見ないようにしていませんか?
どうか過去のわたしのように家を飛び出す前に忘れていた感情に気づきますように。
(家出も、それはそれで楽しかったけどね)
そして高層マンションが悪いわけでも恵比寿が悪いわけでもなく
ただわたしはそこで気づいた、という話しです。
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