組織で仕事をしていたころ
昔むかし、組織で仕事をしていたころの話。
働きだして3年ぐらい経つと“新人指導担当主任”という役割を与えられました。
その名の通り、新人が入社したら私が細かく指導するんです。
名刺にもその肩書が書かれて、こんな私にも肩書が出来たことが嬉しかったことを鮮明に覚えて います。
今思えば自分のことに自信がないから、役割ができると居場所が出来たように感じて嬉しかったんです。誰かから認めてもらえた!よし、恰好いいと言われるように頑張ろう! そう思いました。
次第につまらなくなった
だけど、次第につまらなくなりました。
なぜなら、私が望んだ役割ではなく勝手に与えられた役割だったから。
おそらく、見た目もきついし、言葉も厳しいからそんな役割についたのかもしれません(笑)
その役割が窮屈で仕方なかった。
役割に縛られることなく、のびのびと幅広く仕事をしているときの方が楽しかったんですよね。
“主任”なんて肩書がつくことでその役割のことしかしてはいけないようなプレッシャーを感じ、余計なことをしてはいけない。
そんな風に考えるようになったから窮屈になり、疲れてしまいました。 仕事は大好きだったのに。与えられた役割に縛られるより自分で自由に役割を選びたかった。
最終的には、“主任”なんて役割に関係なく、これまで通り楽しく仕事をして、辞めるときにはトップ から「面白い発想をする君とは、もっとやりたいことが沢山あったから残念だよ」とまで言ってもらえました。
“新人指導担当主任”という役割をもらった時のことよりも、その言葉のほうが何千倍も嬉しかった。
結婚したとき
結婚したとき、旦那さんから
「俺は外で働いてくるから、君は家のことはお願いね。それがお互いの役割でしょ?」
と言われ、違和感を感じました。
また、ここでも役割が与えられたんです。
「え? それが私の結婚後の役割なの? 与えられた役割に縛られることが前提の結婚なんて、なんてつまらないのだろう」と(笑)
ふと、そう感じたんです。 そんな役割のために私は結婚をしたの?って。
だから旦那さんにも正直に言いました。
「(家のことはお願い)という役割を降りたい」と。
驚いた顔をしていましたが、沢山話し合った結果、お互いに尊重し合いながら、特別な役割をお互いに課することなく生活しています。
自分全体で生きよう!
私が言いたいことは
「与えられた役割に縛られるのではなく、『自分』全体で生きようよ!」
ということ。
与えられた役割に縛られて窮屈になってしまうことはないんです。
あなたという自分全体で生きる。一つの役割に縛られる必要もなく、好きなことを何役もこなしてもいいと思います。
たとえば、「結婚しているから」と「妻」や「母」としての役割に縛られて、未知なことへの挑戦を諦める必要もないんです。
与えられた特定の役割ではなく、自分全体で生きたらいい。
変に役割に縛られる必要もなく、私たちは本当は何だって出来るし、どんな役割だって選べるんです。
結婚や、仕事や、家族、など与えられた役割を言い訳にして諦める必要はないんです。
自分全体で生きたらいい。