「もう無理かも・・・」子育てと仕事の両立って何?

子育てと家事と仕事とプライベートと

学校行事のプリントを娘がもらってくる。とりあえず、それを渡されるのは「ママ」だ。

「ママー学校からプリントもらってきたー」

と言って何枚にもわたるプリントを手渡される。それに目を通し、参加しなければならない行事はカレンダーで日程を確認する。予定がある場合は、やむなく予定をずらすこともある。当たり前のように繰り返していたけれど、さて、どうしてこれはママの仕事なのだろうか。

旦那のほうが稼いでいるから学校行事は妻の役割りなのか、それならば妻のほうが稼いでいるのならば学校行事には旦那が参加するシステムなのか。子供が風邪をひいて保育園を休む場合も、夫婦で仕事が入っていても日程調整をするのは妻の割合が多い。それは何故なんだろうか。仕事の責任度合い?それならば、責任の割合が少ない人が日程調整をするのだろうか。

いまどきはオンラインで仕事をすることも増えた。
家で仕事をしていると、やれ洗濯が終わった、掃除機をかける、洗い物がある、夕飯の支度だ、保育園のお迎えだ、と途中で手を止めざるを得ない。ぶっ通しで仕事をするというのは難しい。それならば家事手伝いでも雇えばいいのか、それとも旦那よりも稼いでいればすべてを放棄して旦那がやってくれるのか。

見えない家事には正解がない

結婚生活と仕事、子育て、プライベートのバランスというのは各家庭で違いすぎてどれが正解なのかも分からない。だから、自分たちで正解を作らないといけないんだけど、わたしは性格上こういうわだかまりを、わだかまりとして保存しておくことが出来ないので逐一不満をぶつける。

一度旦那から

「じゃあ、俺と同等に稼いできてよ」

と言われたときはさすがにキレた。じゃあ、わたしに十分な時間を与えてくれよ。
ねぇ、出来た嫁ならそう言われたときなんて答えるの?教えて欲しい。

わたしの場合は、「じゃあ、収入がお前を越えたら何もしなくていいんだな!」と怒りに震え、実際に口にする。まあ、そうやって自分のキャリアというか仕事をしない、という選択をしない、という生き方を貫いているわけですが完全に可愛げがありません。自分でもわかっています。

結婚に抱く幻想と古い価値観

結婚に憧れる人や、結婚することがあたかも当たり前かのような価値観がメディアや女性誌にいまだに表現されているけれど、それはもう古い。結婚しようが、しなかろうがそれぞれに幸せの価値があり離婚しようが幸せの価値がある。シングルマザーは可哀想だ、とか子供には両親そろっているべきだ、片親は学校でいじめられることがある、なんて騒がれたりするけれどいじめられるほうじゃなく、いじめているほうの心が歪んでいるんだから問いただす方を間違えている。

うちの場合、「子育てをしたい」「主夫になりたい」と結婚当初から常々言われていたので息子の育児に関しては自分の言ったことに責任をもってもらうため子育てやら主夫的なことを率先してやるよう産後から訴えた。
別に息子が可愛いくない訳ではないが、わたしは口にした言葉に責任を取ることは大切だと思っているので「じゃあ、子育ても主夫も頑張って」というスタンスです。
それでも、旦那は出張のある仕事なのでどこかで羽が伸ばせるのだから子育ても家事も息抜きぐらい。

子育てと仕事の両立なんて無理だからこそ気を付けること

わたしは、結婚をして子供を産むということは少なからず自分の時間を割くことはわかっていたので、老後の子供たちの手が離れ自立したあとに腑抜けにならない為にも今の時間をキャリアや勉強に時間を割くことは諦めないでいます。

子供が自立したときに腑抜けになるのでは手遅れだからです。

子供が自立してから自分が仕事復帰をするにはブランクがあきすぎるし、体力ももたないだろう。それならば、動ける今のうちに自分への自己投資を怠らない。そう決めている。だから、子育てに追われている女性には強く言いたい。大それたことはやらなくていいから、興味のある分野やこれまでやってきた仕事の内容を諦めることなく小さな形でもいいので継続しておいて欲しい。必ず、いつか役に立つときがきます。SNSへの投稿が好きならば文章術を日々勉強すればいいし、インターネットというものは人と繋がる媒体だ、ということを常々意識すればいい。お菓子作りが好きならばあいた時間に簡単なお菓子を作ってレシピを残しておけばいい。読書が好きならば少しの間でも本を読めばいい。継続したことが年齢を重ねたとき必ず血肉となり、あなたを助けてくれる。

家出を試みた過去のわたし

以前、家出をしたことを記事にしたことがあるけれどかなり多くの人に読まれました。

家出をしました… 2017年の年の瀬に家を飛び出しました。簡単にいうと、家出です。 家事をすることも、何もかもが嫌に...

それだけ家出を試みようとおもっている人が多いのだと認識したとき悲しい気持ちが沸くと共に、どうか一緒に強く生きていこうぜ!という気持ちになったのを覚えています。
世の中には、離婚をしたくても経済的理由で離婚に踏み込めない人が多いこと。また仕事復帰へのブランクを考えると恐怖で体が震えてしまうこと、シングルマザーになることへ世間体を気にして動けないこと、など一度結婚した女性が再度独りになり社会に放り出される不安はわたしもシングルマザーを経験した身なので重々承知しています。

だから、どうかご自分の興味関心のあることから目を背けずに真っ直ぐ続けて欲しいと願う。

結婚をして旦那に養ってもらっているからと、自ら奴隷になることはないのです。結婚が奴隷制度だというのはもう昔の話。いつかの自立を目指して日々精進してもいいんです。自由に生きていいんです。
離婚を勧めたい、という訳ではないですが(わたし自身、結婚生活は継続しているので)自分の気持ちを押さえつけることが家庭の平和だと思い込まなくていいのです。

夫婦はいつでも仲良くいなければいけない、というのも呪いです。所詮は他人なんですからケンカや話し合いを重ねていかないと継続するのは難しいです。どちらかが我慢をして、押さえつけない限り。
今は、性別を超えた結婚や事実婚、姓を変えることを避けることすら可能な国が多くなりました。昔と比べるとだいぶ時代が変化しています。
自分の呪いを解けるのは自分です。

つまり、何を言いたいのかというと、家事やって主婦やって母やってプライベートを…ってバランスをとりましょう!ワークライフバランスを!なんて難しいですよ、無理ですよって話し。すべての人がバランスを取れたら自殺する主婦なんていません。ワンオペがつらくて子供を虐待してしまうお母さんなんて存在しないはずです。心と身体のバランスが崩れているから悲しい事件が起きるんです。
誰かの役に立とう、世界に平和を!と叫ぶ前にまず自分の心が平和なのか、向き合う時間が今の日本人には必要だとわたしはおもいます。

まだ、世の中は男性のモデルでデザインされているものが多いのが事実。

だからと言って、男性のデザインに無理して合わせることはなくそもそも体力的にも精神的にも特質として難しいのです。それならば、無理をして自分を押し殺して「両立しよう!」「わたしさえ頑張れば!」「ほかの人に出来ているんだからわたしでも!」なんて奮い立たせる必要はなく、無理なものは手放し、その代わり興味関心のあるものへの時間を割くことは諦めない。自分を諦めて卑下して生きる必要などないのです。