仲たがいしています
先日、私の実家がある福島県いわき市で地元のひとたちと、原発のある地域のひとたちとで仲たがいしている、という情報を耳にしました。
「なんでそんなことがおきているの」と友人に聞くと、理由は様々だったけど、仲たがいしている根本の理由は……
「お金」
のようでした。
理想は同じ福島県に住んでいる人同士。お互いに協力して仲良くやっていくことです。
だけど、現実はそうもいかない。きれいごとだけでは、物事はうまく進まないことを目の当たりにしました。
お金によって争いが起きます
お金がひとを争いに引きずり込む。
「あの人のほうが多くもらってる」
「わたしたちは国の指示に従っているだけ」
「わたしたちだって、被害者だ」
お金によって、ひとはひとを憎んだり、レッテルをはったり、勘違いしたりしてしまう。
本来は仲良くできる人同士かもしれないのに、です。
もちろん、どちらも一見、正論で、どちらも正しくみえる。
だけど、お金がからんでいなかったら、これほど仲たがいは起きなかったはず。そう考えるとお金って何だろう、と改めて考えさせられます。
確かにお金は生きていくために必要なものだし、お金が理由でケンカにもなるし、行き過ぎれば、縁を切ることも出てくるかもしれない。
それでも自分で生き方を選択できます
それでも、わたしはお金に振り回されるのは良くないと思っています。
お金はただの紙切れだし。本来は人間の生活を便利にするためにあるもの。
きれいごとだけでは生きていけないのは十分に理解できるけど。それでも、お金に振り回されないでください。
自分の生き方は自分で決めることができます。
他者に対して、どうして生きたいのか。
お金に対して、どうして生きたいのか。
もちろん、一時的に相手のことを嫌になることはあるかもしれない。それは感情だから仕方がないとしても、そこから先、どう生きていくのか。嫌な気持ちを持ちつづけるのか、気持ちを変えるのかは選択できます。
起きている事実は変わらなくても、どんな気持ちで生きていくかは自分たちで選択できます。
きれいごとだけでは無理なのでしょうか
「現実はそうはいかない。きれいごとだけでは無理だ」
そう言われるかもしれません。
でも、人は憎しみ続け、嫌になり続けるのではなく、自分たち自身の「気持ち」を変えることができます。
お金に振り回される「気持ち」も変えて、人生を素晴らしいものにできます。
宮古島
わたしは宮古島によく行くのですが。
宮古島が大好きな理由は、島の住民でもないわたしたちを温かく受け入れてくれるから。
さまざまな土地から移住したひとも多いけれど、移住してきたひとたちさえも宮古島に溶けこみ、温かい空気に包まれ、しあわせなことがわたしたちにも伝わってきます。
きれいごとだと言われそうですが、そんな風にお互いを温かく受け入れながら、過ごしていくようにできれば、といつも感じています。