自分の考えを人に押しつけてしまうこと
自分の考え方を誰かに押しつけてしまうことはありますか?
私は少ないほうだと思っていたのですが、震災後に母に自分の考えを押しつけていたことを思い出した。
母も私も植物や花を育てることが好きだった……
母は庭に花を植えたり、観葉植物を育てたりすることが大好きなひとで。
わたしも遺伝なのか、そんな母を見て育ったからなのか、観葉植物や花を育てることが大好きだった。
震災が起きてから
それが震災後に福島にいる母は変わった。
「まだ土にさわれない」となかなか土に触れなかった。
でも私は変わることはなかった。いや、むしろ、震災後に心機一転!とたくさんの観葉植物を育て、部屋にも飾った。
何かの本で土に触ることは心にとてもいい、と読んだこともあったので。
震災後、精神的に追い込まれていた私は土を意識的に触るようにした。確かに土を触っていると昔の庭を思い出して安らいだ気持ちでいつの間にか時間が経ったり、夢中になることで気持ちが楽になったりした。
無言の圧力のプレゼント
そうした自分の体験から、土に触ることは誰にでも向いていて、身体にも心にもいいことなんだと思い、何かのきっかけになれば、と母に大きな観葉植物をプレゼントした。
とても喜んでくれた。それでも「まだ土はさわれないのよ」という。
一時的に庭のない家に住んでいるからだろう。なんて思っていたけれど、内心、「そんなこと言ってないで、どんどん土をさわったらいいのに」と考えていた。
その観葉植物は プレゼントと称した無言の圧力だった。
3年後
それから3年ほど経つと、母は新しく建てた家に庭をつくり、ようやく土を触りはじめた。
たくさんの木を植え、たくさんの花を育て、フラワーアレンジメントの教室にも通い出した。
わたしは、自分を責めた。
どうして母のタイミングを待てなかったのだろう、と。
人には、人それぞれタイミングがあって、その人が本気で「やりたい!やってみたい!」と心から思ったときは、誰に何を言われなくても勝手に身体が動き出し行動にうつす。
余計なお節介はいらないし、無言の圧力も必要ない。
大切な人との関係で意識したほうがいいこと
人との距離感で大切なことは
「黙って待ち見守る」
ということ。
それが家族などの身近な存在であればあるほど、大切なのだ。
「黙って待ち見守る」ということは信頼する、ということ。このことを考える時、以前、幼稚園児だった娘が通っていた塾の先生の言葉を思い出す。
「黙って待つことができる親御さんに育てられたお子さんは、ぐんぐん伸びます」
余計な手を出さず、口も出さず、ただそばで見守る。「大丈夫だよ」って。それができる親御さんは少ないと話していた。
その時の先生の意図と少し違うかもしれないが、黙って待ち見守ることは相手を信頼するということだろう。あなたなら大丈夫と。
(子どもの場合、そこで自分で色々と考えてやってみることがとても大きな経験になるし、自主性をもつことにもつながるのだと私は思う)
もちろん、母と子どもの話は違う。
それでも、私は母のタイミングを待たず、自分のタイミングで観葉植物を送り、「さっさと土に触ればいいのに」と思っていた。
きっと、相手を信用する気持ちがなかったのかな、と思ってしまう。
その時のことを思い出し、自分自身に対しとても残念な気持ちになった。
自分の意見と相手の意見が食い違うとき
あなたにもきっとあると思う。自分の意見と相手の意見が食い違ってしまう時に自分の意見を「これが正しいんだから」と押しつけてしまうことが。
これは仕方がないことで。
人は誰一人同じことはない。
意見が違うのは当然だし、正しいと思うことだって違う。ここは大切なので、もう一度お話するけど、
あなたと相手とは「正しい」と思うことが違う。
そんな時は以前の記事『好きな人から一緒に過ごしたいと思われる方法』にも書いたように、
相手を否定せず、ジャッジしないこと。
だからこそ、相手を信用し、黙って見守ることが大切になってくる。
自分の意見を押し付ける時というのは相手を否定している時。
相手のためではなく、まるで勝ち負けのように自分のために自分の意見を「これが正しいんだ」と押しつけている。
そういう意味では「黙って見守る」ことが基本だけど、あなたが相手のためを思った時は少し違う。
あなたが相手のことを真剣に考えた上で、それでも相手のためになることだと考えるなら、その時は黙っているのではなく、相手を尊重しながら、あなたが考えていることを話してあげる方がいいと思う。
人は一人では生きてはいけない。
誰しもが正しいわけでもないし、間違え続けてしまうことだってある。
お互いに教え、教えられながら、生きていく。
あなたが相手のためを思った「やさしい言葉」なら、それは相手を尊重したコミュニケーション。たとえ、あなたの意見が相手とは違う意見だったとしても、きっとその関係はより深い、素晴らしいものになっていくはずだから。