スーパーにいた女性
スーパーで夕飯の買い物をしていると、目の前でお会計をしていた女性がレジを打つ店員さんに向かってポイントカードをポーンと投げた。
年齢は70代ぐらいかな。
ポイントカードの次は、買ったものを袋詰めしてくれている店員さんに対して「ジュースはどこに入れた?」と聞き、ジュースを取り出してもらうとサッと奪うように受け取った。
先にお会計を終えて前を歩いていた人に対しても「ちょっとーどいてー!」と言って急がせていた。
うーん、なにか嫌なことでもあったのかな、とその人の行動から目が離せなくなってしまった。
たまたまご機嫌ななめだったのか、それとも普段からそうなのか、なんて考えながら、ふと私はひとつの景色を思い出した。
震災翌日の景色
震災翌日の大型衣服店。そのレジに並んでいたときの景色だ。
当時、どのお店も大混乱で、特に津波で自宅が全壊し、着の身着のままだった人たちは、3月の厳しい東北の寒さを乗り越えるため、下着や普段着が必要だった。
大型衣服店は大勢の人であふれていた。たくさんの衣類を持ちながらレジに並ぶ人達は不安からくるイライラで満ち溢れていた。
私も、イライラしている一人だった。大勢並んでいるのにやたら丁寧に衣類を畳む店員さんにイライラし、「もっとスピーディーにやってよ!」と口にする人もいた。
もちろん私も冷静ではいられない。衣類についているハンガーを取るのに手こずる店員さんに対して「早くしてよ!」と叫んだ。
あまりにもイライラしていたので記憶にはないけれど、もしかするともっと酷い言葉を浴びせていたかもしれない。私は、娘のものから母のもの、妹のものまで抱えていたので相当な金額になった。
「この大変な時期にこんなに高い買い物をするのだから、このお店も助かるだろう」なんてかなり上からな考えすら湧いていた。
だけど、時間が経って、冷静になり気持ちが落ち着いたとき、物凄く申し訳ない気持ちになって。穴があったら今すぐ飛び込みたいような、恥ずかしくて顔から火がでそうだった。
顔から火がでそうなくらい恥ずかしい…
今、思い返しても、顔から火がでそうだ。
私は自分のことしか、見えていなかった。
もしかしたら、これを読んでいるあなたは私に同情してくれるかもしれない。
「震災の大変な時なのだから、仕方がないよ。人のことなんて」と。
でも、まさにあの時の私は。今のあなたが私に同情してくれたような、相手に同情する優しさを持ち合わせていなかった。
あの時、震災で混乱していたのはレジに並ぶ私だけではなく、あの街にいたすべての人が同じだった。当然、すべての店員さんも。
それなのに、お店が開いていることを当たり前だと思っていたし、店員さん達が働いていることも当たり前だと思っていた。
もしかしたら、店員さんの中にも家族を津波で亡くした人や、自宅が全壊した人、まだ連絡がとれない友人がいて不安になっている人などもいたかもしれない。
少なくとも、みんな不安だった。不安を抱えていた。その不安な中、多くの人のために「お店を開けないといけない」と辛い中、お店で働いてくれたのかもしれない。
それなのに、私は自分のことだけを考え、レジで叫んだ。
店員さんに向かって。
「早くしてよ!」と。
震災だけではない
震災ほどの状況でなくとも、これと同じことは起こりうる。
冒頭の女性も、私もそうだけど、相手のことが見えず、自分のことしか見えないと、周りの人はきっと去っていく。
自分が一番大変なんだ、困っているんだ、と周りに助けてもらうことを当たり前だと思ったり。
嫌なことがあって機嫌が悪いからと言って「私の気持ちを察しなさいよ!」という態度をとったり。
お金を払っているのだから客の立場のほうが偉いんだ、大切にされるべきなんだ、と理不尽な対応をする。
そんなことを続けていたら、きっと大切な人間関係を失う。
大切なこと
大切なことは
「自分だけでなく、みんな抱えている」
ということを意識することだ。
そもそも、人生は常にいいことばかり続かない。
誰にだって、大変な時期はあるし、思い悩んでしまうような辛い時期だってある。震災の時ほどでなくとも、多かれ少なかれ、みんな何かを抱えている。
自分ばかりが大変なことを抱えているわけではなく、みんな抱えている。
だから、呟いてみることだ。
身近な人はもちろん、二度と会うかわからないような関係の人に対しても、「みんな抱えている」と心の中で呟いてみる。
ほんのすこし意識してみるだけでも、きっとあなたは優しくなれるはず。
その優しさが、あなたの人間関係を少しずつ優しくしてくれるはずだと私は思っている。