父と手をつないだのは、2回しか記憶になかった…「人間関係の話」

父と手をつないだのは2回しか記憶になかった…

私にとっての大切な人は、肉親だったり、結婚して自分で形成している家族だったりします。友達や仕事関係の方ももちろん大切ですが、まず自分の身近にいる人たちを大切にしたいな、と考えています。

私にとって父は大きな存在でした。

たくさんのことを学び、たくさんの愛を教えてくれた人。

そんな父と手を繋いだことを思い出してみると、なんと2回しか思い出せない。

ひとつ目は7時間にもおよぶ心臓の手術をしたあと。麻酔から目をさまして意識がはっきりしないまま父が不安そうだで涙を流していたので手を握ったことを覚えています。

ふたつ目は、震災から3日後、ブルーシートに包まれた父と対面したとき。すっかり硬直してしまっていたけれど、とても冷たい父の手の感触を今でも覚えています。

「寒かったね・・・」「つらかったね・・・」と言いながら、家族で父の身体を触った。

その2回しか、父と手を繋いだことを思い出せない。触れた記憶が極端に少ないことに驚いた。子どもの頃を含めたら、たくさん手を繋いでいるはずなのに人の記憶というものはとても曖昧。

最も辛かったことは肉体がなくなること

とにかく大切な人の肉体が無くなることがことが一番つらい。

肉体がないから触れられない。声を聴いて、会話をすることもできない。

それに気づくのは大切な人の肉体がなくなってから。もっと触れておけばよかった。たくさん話をすればよかった。

心が大事なんだから肉体がなくなっても近くにいて見守っていてくれているはずだ、と思っていてもどうしても肉体にこだわってしまう。

後悔ばかりが沸き起こってくる。

最近、ご主人への不満を聞いた…

最近、ご主人への不平不満を言わずに我慢している人たちの相談を立て続けに聞いた。

確かに、大切な人の肉体が存在している間は許せないことや、苛立つこと、憎らしいことが起きるし、一気に感情がもっていかれてイライラしたり、ムカついたり、腹が立つこともある。

私も主人とケンカをするときはいつかどちらかがこの世からいなくなることなんて微塵も考えないで本気でぶつかる。

でも、人は必ず、大切な人との別れが遅かれ早かれ訪れる。

ケンカをすることも大切だと思っているからぶつかることは悪いことだと考えてはいないけれど、だけど本当は、いつか肉体がなくなることや、伝えたい言葉があったとしても何も伝えられなくなってしまう日がくることを考えないといけない。

さみしいことだけどね。

全ての人間関係に

夫婦関係だけではなく、それはどんな人間関係にも言える。

イライラしているときは相手との将来なんて考えられないかもしれないけれど、それでも少し冷静になったとき頭の片隅にあるだけで違う。

そして、将来、大切な人を失った時に後悔しない方法は

肉体があるときにたくさん繋がっておくこと。

繋がる、とは手を繋いだり身体に触れることや、手紙、メールまたは直接会うなどして、連絡を取り合うこと。

日本には家族や恋人同士でハグをする習慣も定着していないし、温度を感じる機会がとても少ない。だからこそ、後悔しないためにも大切な人にはもっともっと繋がること。そして触れてほしい。

もし、触れることが恥ずかしい、無理だ、という人はメールでも、手紙でも電話でもいいです。手段はなんでもいいのでとにかく繋がって欲しいです。