デパートのエレベーター
都内のデパートでのこと。買い物を終え、3階から1階に降りようとエレベーター前で待っていると、ベビーカーが来た。見ると、赤ちゃんを乗せた外国人のパパが隣にいた。
ベビーカーがあるとエレベーターに乗るのは本当に大変。
荷物が邪魔でボタンひとつ押すのにも手間がかかる。そんな経験がある私は到着したエレベーターの(開く)ボタンを押してドアを開けたままにし、「どうぞ」とパパさんたちが先に乗りやすいように誘導した。
パパさんはありがとうという感じでニコッと会釈し、先に乗り込んだ。
あぁ、お役に立ててよかった!たとえ国や言葉が違っても、笑顔でニコッと会釈し合うだけでも心にポッと灯りがつくのは全世界共通よね、とニコニコしていた。ところが降りる時が問題だった。
エレベーターが1階についた時
エレベーターが1階につく。今度は私は(開く)ボタンを押さずにスッと先に降りた。
実はパパさんの後ろには外国人の女性がいて、「きっと、ご夫婦だろうな」と思ったし、私が先に降りた方が狭いエレベーターの中で邪魔にならないかな、と考えたから。
だけど、降りたあとなぜか胸がチクっとした。
もしもパパさんの後ろにいた女性が奥さまじゃなかったらどうしよう。
よく考えると、特に会話している様子もなかった。
ただ外国人女性がパパさんのそばにいたというだけかもしれない。
私の大きな勘違いだったら、と私は歩きながら想像してしまう。
「降りるときもボタンを押して、パパさんたちが降りやすいようにしてあげればよかった……なんで先に降りたんだろ」
そんなことを考えはじめたら小さな後悔が心の中に生まれてきて、歩いていても気分が悪くなっていた。
ドアをおさえてあげればよかった。最後の別れ際も「行ってらっしゃい、気をつけてね!」と、ニコッと会釈すればよかった。今頃、あのパパさんはどうしているのだろう、と。
小さな後悔が生まれた理由
そんな小さな後悔が生まれたのは、正直にいえば、私に問題があった。
自分自身の本心を無視したのだ。
実はエレベーターを降りるときに先に降りるか、後から降りるか、数秒間ではあったけれどめちゃくちゃ考えていた。
出た答えは「先に降りる」というものだったから行動に移したけれど、本当は「ボタンを押したほうがいいのだろうな」とは思っていた。
本当は「後から降りる方がいい」と思っていたのに、行動に移したのは先に降りるほうだった。狭いエレベーターの中で邪魔にならないかな、と表向きの理由はあったのだけど。本心では、恥ずかしい話、自分を守りたかった。傷つきたくなかったのだ。
「もしかしたら、ボタンを押してもらいたいとは相手は望んでいないかもしれない」
本心では「ボタンを押してあげた方がいい」と思っていたのに、相手はドアを開けてもらうことなんて望んではいないかもしれないし、傷つきたくもないし、早く行かなければならないところがあるし、などと「本心」を無視し、自分勝手な気持ちを優先した。
たびたび、自分の本心を無視してしまう
こんなことが日常生活の中では度々ある。先日もそうだった。
カフェで打ち合わせをしていると、横を通り過ぎる人がなにかを落としたまま歩いていった。なんだろう、と確認するとレシートだった。
きっと、トレーに注文したコーヒーを乗せてもらったときレシートも一緒にトレーに乗せていて、歩いていたらふわっと落ちちゃったのかもしれない。
そのレシートに気づいたかどうかはわからないけれど、もし気づいていたとしたら後からふわっと落としたレシートのことが頭をよぎるかもしれない。
「拾って捨てればよかった」って。
それに気づいた方だってそうだ。ここでそれに気づかないフリもできる。本心では「これは拾って捨てればいいかな」と考えていたら、その自分の本心を無視することになってしまう。そうして、胸がチクっとし、小さな後悔が生まれるのだ。
心は風船
「本心」では「やったほうがいいかも」と頭の片隅に浮かんだら、それは行動に移した方がいい。
それをしないと自分自身をチクっと傷つけてしまう。
私がこんな時にイメージするのは「心は『割れにくい風船』」だということ。
一度や二度、針のようなもので風船の表面をチクっと触れたりしても、すぐに割れたりはしない。でもそれが重なると、割れてしまう。
小さな後悔が積み重なる生き方はまさにそう。いつか大きな傷になり、心の風船が割れてしまう。「本当は○○をやったほうが気持ちがいい」とわかっているのに行動に移さないのだから、自分の大切な気持ち(本心)を無視することになっていく。
だから、「やったほうがいいかも」と頭の片隅にでも浮かんだら、やったほうがいい。
もちろん、やってみないと相手が喜ぶのか、迷惑なのかはわからない。でも、その方が自分にとってもいいし、相手も必要ない人もいるかもしれないけど、喜ぶ人だっているのだから。
「やったほうがいいかも」
そう頭の片隅に浮かんだら、行動に移す。そうすれば、小さな傷ではなく、小さな幸せに変わっていく。