女にはいくつもの顔がある
わたしは「この人は友達です!」と胸を張って言える人数は少ない。
めんどくさい性格のわたしにとって「友達」というカテゴリはとてつもなく厄介なもので
相思相愛、だと自信を持って確信できる相手じゃないと友達だと言いにくい。
うん。厄介な性格です。
わたしが友達だと思っていても一方的な片想いかもしれない…という不信感がある場合、なんとなく友達だと言うのに気が引けてしまう。だから友達の人数は少ない。
でも量より質だ!というこだわりもあるので、この考え方は嫌いではないです。
結果的に、少ないからこそどの友達も大好きで尊敬している人ばかり。
わたしと友達なぐらいだから、そのほとんどの人が変わり者でユニークな人ばかりなのが自慢です。質問や相談を投げかけても偉そうに意見をしてくる人はひとりもおらず、みんな自分の経験とわたしの性格を考慮して大人の意見をくれる。本当にありがたい。
そんな友達のひとりに美容のプロがいるんだが、彼女はいつもわたしの刺激だ。
二黒土星の本命星どうり、コツコツと努力をし、曲がったことは大嫌い、ストイックのなかにも愛情が深くて母性の塊のような人だ。
彼女との出会いは、ななんと今でいう掲示板?
長女を妊娠しているときにふらっと出会った妊婦さん専用の掲示板で出会った。
当時、東京で初めての妊娠で心細くて結婚生活も満足と言えるものではなくいつも元旦那さんとは一定の距離のなかで生活していた。だから誰かにちょっとした悩みを相談するには顔も知らない掲示板ぐらいがちょうどよく「逆子だから心配だなあ」「つわりがしんどいなあ」「でも仕事も行かないとなあ」なんて些細なことを投げていたけれど、それぐらい心細くて、どこかに言葉を残したかったんだろうね。
彼女とは何がきっかけだったのかは覚えてはいないんだけど、同学年の赤ちゃんを身ごもっていることから水天宮の戌の日参りが同日だということがわかり、な、な、なんと彼女はお手紙を書いて水天宮にある大きな木につるして帰ってくれたのだ。
そんな約束をしてくれることも嬉しかったし、掲示板だけのやり取りが直筆の手紙となると一気に距離が縮み飛び跳ねるほどに嬉しかった。今は水天宮も大きな改装工事をして立派になってしまったのでその木もなくなってしまったことが悲しい。
直筆のお手紙がきっかけで電話をするようになる
優しい彼女は1歳年下で都内住みでじゃあ会おう!ということになり実際に会うことになった。
わたしの妊婦生活が充実したものになったことは言うまでもない。
当時から美容に詳しく、おしゃれできれいな彼女はわたしの刺激になりおかげさまでわたしも髪を振り乱し悩みに明け暮れるような妊婦生活にはならずに済んだ。
わたしが出産で福島の実家に帰省している最中も連絡をとりあい、なんなら離婚に至るまでの相談にも乗ってもらった。できれば東京に帰り彼女と赤ちゃんを連れたママとしてのお付き合いもしたかったが運命はそういかず、わたしは福島での子育てが始まったのだが当時の彼女の言葉は今でも頭でリフレインする。
「めぐ?今は悩みが大きいかもしれないけれど10年後は絶対に同じことでは悩んでいないよ」
いやいやいやいや、きっとわたしはこの傷を10年後も引きづっているはずだし、この悩み(離婚、裁判など)は10年後も悩んでいるはずだ、そう思って聞いていたが実際に10年経ってわたしはとっくに再婚して当時とは全く違う人生を歩んでいた。
そう、彼女の言った通りだった。(もう彼女は覚えていないだろうけどw)
そんな彼女は今でもわたしの大切な友達だ。子どもが同い年だから子どもの悩みが尽きないことも分かり合えるし何なら経営者の妻であり、自分たちも経営者になった今、さらに分かり合える。と勝手に自負している。
沖縄と東京で距離は離れてしまったけれどSNSよ、ありがとう。
お互いに今でも悩みは尽きないのだが、彼女とやり取りをしていたらこれまた印象的な名言が出てきた。それがタイトルにある【保護者会に真っ白なワンピースを】だ。
家族と仕事のバランス、経営者としての責任や覚悟、プライベートでも忙しい彼女が保護者会に真っ白なワンピースでネイルも新調して行ったというのだ。
「え?それのどこが印象的な言葉なの?」
とお思いのあなた。あなどることなかれよ。
詳細は書かないけれどわたしなら耐えられなくて絶対に逃げてしまうような出来事が起きているにも関わらず、そんなときでも彼女は真っ白なワンピースを着てネイルをきれいにして自分への自愛の精神を忘れないのだ。
普通なら無理な領域なんだ。わたしなら逃げる。確実に。
人は「もう無理」というとき2パターンに分かれる。
1つは諦めてしまう、または逃げる。
2つは立ち向かう。大人になる。
間違いなく彼女は2つめ。
大人としての対応をとれる彼女を心底尊敬した。
「強い」なんて言葉だけでは足りないくらい。
真っ白なワンピースに身を包むことは
そんな安い言葉じゃ済まされない覚悟なんだ。
「そんなに褒めてどうしたのよ」
「わたしは大丈夫よ」と笑われそうだけど
彼女のことが大好きで尊敬しているからここで初めての公開ラブレター。
妊婦さん専用の掲示板で出会ったなんて15年前なのに
なんて先見の明があったんでしょうw
今じゃ掲示板とかマッチングサイトで結婚することなんて
恥ずかしいことでも何でもなく堂々と人に言える社会なんでしょ?
15年前から掲示板で出会ったわたしたちよ、あっぱれ。
愚痴だけの関係はいらない
誰と共に過ごし、誰の言葉を受け人生を送るのか
御年42歳になるわたしは身をもって実感している。
時間をつぶすためだけに集まって誰かの愚痴をこぼすだけで
生産性のない関係は40を超えると本当に必要がない。
若いころは良いだろうよ。愚痴をこぼすだけの関係も。
20代の顔、30代の顔は若い細胞だけに救われ
ある意味神様からのプレゼントのようにキラキラした細胞で生きていけるが
40代、50代の顔はこれまで生きてきた人生の総まとめみたいな顔になる。
シワやシミが悪いと言いたいわけではない。
でも目の輝きや皮膚の張りひとつとっても
20代や30代のそれとは比較にもならないんだ。
高価な化粧品に頼っても成果は持続せず
これまでの人生をどう過ごしてきたかがその人の顔に出る。
わたしがセッションや鑑定で顔の写真を送ってもらうのは造形が見たいわけじゃない。
その人の生き様が見たいんだ。
とは言え、くすみがちの肌で過ごすのもイヤなので
ファンデーションを辞めたわたしの必殺アイテムは
緑色のジョンセンムルが救いの神。
ジョンセンムル様、神様、仏様。
日焼け止め塗って、ジョンセンムル塗って、パウダーはたいて
はい終了。
これも彼女に教えてもらったアイテム。感謝。陳謝。ありがとう。
人の本性が見えるとき
41年生きてくると、人を見るときどこを見るって
生き様なんだ。
そして大変な胸中にいるとき一体どんな応対をするのか
思考でいるのか。大変なときこそ人間は本質がでる。
きれいごとばかり言って、ポジティブ思考で何とかしようと
説得してくる人の言葉なんてわたしの心にはちっとも響かない。
つらいときはつらいんだ。
しんどいときはしんどいんだ。
やさぐれているときはやさぐれたいんだ。
話しはそれからだ。
あなたはつらいとき真っ白なワンピースを着て出かけることが出来るか?
味のある大人ってそこからだ。