友人の再婚
シングルマザーだった友人が再婚した、と聞いてどんなお相手なのか聞いてみることにしました。
「いつも素敵なお店に連れて行ってくれて、誕生日でもないのにプレゼントもくれるの。年もだいぶ上だから余裕もあるし、仕事もいずれお父さんの会社を引き継ぐみたいで。安泰だし、なんと言っても心に余裕があるのがいいね!」
彼女はそう教えてくれました。
そっか、幸せになれるならよかった!とわたしも喜んでいたのですが、数年経って「実は離婚調停中なの……」と離婚にむけて話し合いが行われていることを知りました。
彼女と会うと、調停中のパートナーへの愚痴や不平不満が次から次へとあふれ出てきます。
「お金にケチな人で生活費も少なくて」
「自分のことにばかりお金を使うの」
「わたしの子どもには全然愛情を注いでくれなかった」
数年前に会った時に教えてくれた人とは同じ人だとは思えない内容です。
再婚した理由
どうして再婚しようと思ったんだっけとわたしが質問すると、
「お金持ってそうだったから。シングルマザーのときより余裕ができて、一生懸命になって働かなくてもいいかなって思ったの。考えが甘かったよね」と。
きっとこれが彼女の本心なんだろうと思いました。
彼を好きだったとか、愛していたという理由ではなく「余裕ができそうだと思った」。
お金に関しても、仕事に関してもいっぱいいっぱいだったのでしょう。きっと、子どもを抱えて仕事に励むことは精神的にも苦しかったはずです。
再婚を決めるとき、だいぶ年上で心に余裕がある彼に魅力を感じたのは、彼女自身、心に余裕が欲しかったんですよね。
彼女の話を聞いていて、どうしても責める気持ちにはなれませんでした。
私がシングルマザーだったとき
なぜならわたしもシングルマザーのときは心に余裕なんてなかったから。
シングルマザーをしていたとき、なにが一番つらかったかというと周りとの比較でした。
週末は仲良しの家族や夫婦、恋人たちで人気のスポットは溢れかえっています。わたしは子ども を連れてふたりきり。他の誰もわたしたちを気にしていないというのに、まるで「わたしはシングル マザーです!」と名札をつけて歩いているような感覚でした。なんか常に恥ずかしい気持ち。
よその人と比較して、子どもには不憫な思いはさせたくないから教育だけはきちんとしようとわ ざわざ、私立の幼稚園に入園させ、ピアノや幼児教室にも3歳から通わせました。
子どもが興味をもったものは通わせたし、欲しいというものは買っていました。
「シングルマザーだから」って周りから可哀そうって思われたくなくて。
今、冷静に考えれば、すごい執着だし、子どもとの向き合い方も歪んでいますが、当時のわたしは必死だから分からないんです。それが最高の愛情表現だと勘違いしていました。
周りからの見られ方や比較をつねに意識していたから心に余裕もなく精神的にもつらい。すがるように精神世界の本を毎月何冊も読みあさっていました。
仕事をしているとき
そんなわたしが比較や見られ方を抜け出せる唯一の時間は仕事をしているときでした。
「一生懸命働きたくない」と彼女は再婚を決断したけれど、わたしはシングルマザーのとき、働くことで「自分としての価値」を見出していたのです。
そう書くと偉そうだし、格好いいように聞こえるけれど逆にそれしかなかったんです。
仕事をしている時間だけは誰と比べることもなく、無我夢中で働いてただの「わたし」でいられました。
誰かに「ありがとう」という言葉をもらえることに幸せを感じ、自分の居場所を探していたんです。他の場所ではどうしても比較してしまうし、「ありがとう」なんて言葉をかけてもらえませんでしたから。
心の余裕って居場所があるかないか。
仕事をしている時間と空間はわたしにとって唯一わたしでいられる居場所。
子どものつながりでできた友達ではなく、仕事を通して出会った人たちは母親としての価値ではなく、働くわたしに対して価値を見出し、認めてくれました。
彼女はエネルギーにあふれていました
今、離婚調停中の彼女は仕事を探しているようです。
「働きたくなくて、専業主婦を夢見て再婚を選んだけれど、自分で稼いで子どもに洋服を買ってあげたいし、美味しいものもたくさん食べさせてあげたい!」
そう言ってこれからの未来について考える彼女はエネルギーにあふれていました。
仕事をすることは良いことばかりではなく、つらいこともあります。
理不尽なこともあるかもしれません。
だけど、仕事って自分に仕えることなんじゃないかなって思います。
自分と向き合う時間で自分の才能を誰かに使ってもらう時間。
だから、自分にとっても相手にとっても最高の時間。
働くと自分の時間が減る、という意見を聞いたことがありますが、1日のうち大半の時間を仕事に使うのですから、めちゃくちゃ自分と向き合う時間があるということです!