主婦失格かもしれない。でも今日は休ませて。

今日は夕飯を作りませんでした。「主婦のわたしを休む日」

2025/4/3


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今日は夕飯を作りませんでした。

「え?なんで?」と思う人もいるかもしれません。家事は主婦の仕事だし、家族が帰ってくるころにはご飯を出すのが“普通”だとされているから。

でも、今日はその“普通”を手放しました。なんとなくじゃなくて、ちゃんと理由があります。今日は、わたしの「主婦としてのわたしを休む日」だったからです。

朝から重かった心と体

朝起きた時点で、体が重い、心も重い。「今日も一日家事か…」と思った瞬間、ため息が出ました。洗濯物を回しながら「今日の夕飯どうしよう」とぼんやり考え、冷蔵庫を開ける気にもなれず閉めました。

こんな日ってありませんか?身体が元気でも、気持ちが動かない日。

子どもを送り出してから、やる気スイッチを入れようとコーヒーを淹れてみたけれど、スイッチは入らず、気づいたらソファでうたた寝。起きたら昼過ぎで、結局パジャマのまま午後を迎えてしまいました。

主婦の“何もしない日”は罪なのか

ふと思いました。

「今日、わたし何もしてないな」

でも、誰かに責められたわけじゃないのに、勝手に“罪悪感”が湧いてきたんです。「ご飯を作ってない」「掃除してない」「パジャマのまま」…そんな状態が、“ダメな主婦”だと刷り込まれているのかもしれません。

だけど本当は、主婦だって休んでいい。何もしない日があってもいい。頭ではわかってるのに、心がついてこない。それがつらかった。

家族の反応は意外とあっさり

夕方になって、子どもが帰宅。「今日のご飯なに〜?」といつものように聞かれたとき、勇気を出して言いました。

「今日はちょっと休ませて。冷凍うどんチンしていい?」

子どもは「いいよ〜」と答えて自分で用意し、テレビを見ながら食べていました。

夫にもLINEで「ごめん、今日は夕飯お休みさせてもらうね」と送りました。数分後に「了解。なんか買って帰るわ」と返事。あっさり。

拍子抜けしたような、ほっとしたような。

“主婦のわたし”を休んで見えたこと

ご飯を作らなかっただけで、心に余白ができました。

ご飯を作らなきゃ→片付けなきゃ→明日の準備しなきゃ…と、いつもの連鎖が今日は一切ない。時間はゆっくり流れて、自分の気持ちを見つめることができました。

気づいたのは、「主婦であるわたし」って、想像以上に“義務”を背負っていたんだなということ。自分がやらないと回らないと思っていたけれど、実際には、家族もちゃんと自分で考えて動いてくれる。

もしかして、わたしが勝手に「全部やらなきゃ」と抱え込んでいただけなのかも。

“自立”って、お金の問題だけじゃない

このところ「自立」についてよく考えています。わたしは専業主婦。経済的には夫に頼っています。それを不安に感じる日もあれば、ありがたいと思う日もある。

でも、今日みたいに「わたしの時間をわたしが決めた」こと。それもひとつの自立なんじゃないかと思ったんです。

夕飯を作らない。誰かに責められるかもしれない。でも、自分で自分を責めるのはもうやめよう。自分で選んだなら、それを肯定してあげたい。

誰に評価されなくても、大丈夫

主婦の仕事って、誰かに評価されにくい。誰かに「すごいね」と言われることは少ない。

だけど、誰かのために動いている日々は、ちゃんと価値がある。

そしてその中で、「今日はわたしのために動く」と決めた一日も、同じくらい価値がある。

誰に褒められなくても、自分だけは自分に「よくやったね」「ゆっくりしていいよ」って言ってあげたい。そんなふうに思えるようになりました。

明日はたぶん、ご飯を作ります

今日の夜、子どもが「明日はママのオムライスがいいな」と言いました。

その言葉を聞いて、「ああ、明日はまた、ちゃんとご飯作ろうかな」と自然と思えたんです。今日は一日、わたしの心を整える日だった。

たった1日、“主婦のわたし”を休んだだけで、また家族のために何かしたいと思えた。

無理に頑張らなくても、人は自然と回復する。そんな当たり前のことを、今日は体で知りました。


同じように疲れているあなたへ

この記事を読んでいるあなたも、もしかしたら「何もしたくない」「逃げ出したい」って思う日があるかもしれません。

そんな日があっても、全然大丈夫。ちゃんと価値があるし、休んでも誰にも怒られません。

主婦にも、心の定休日が必要です。

「今日は夕飯作りません」と言える勇気が、きっとあなたを少し自由にしてくれるはず。

また明日から、少し笑って過ごせますように。

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